2009年11月30日月曜日

思い出:出産から0歳~1歳まで

1歳までのポーラを一言で表すと「不機嫌な赤ちゃん」(笑)。しょっちゅう泣いてました。黄昏泣きも半端なかったです。人見知り場所見知りが激しくて、子育て広場みたいな所に連れて行っても「楽しい」という言葉とは無縁wで、私の側から離れず遊びもほとんどせず、結局泣き出しておしまい。いつも口をギュっと結んで眉間に皺を寄せて、緊張した顔をしてたなぁ。ベビーカーに乗っている時と家にいる時はそれほど不機嫌な赤ちゃんではないのだけれど、ともかく一歩外に出るとダメ。

まぁ、別にあの頃流行っていた「公園デビュー」などには特に興味なく、ポーラは、と言えばこんな感じで外で遊ぶ事にあまり興味を示さず、当時住んでいた家の近くにはあまり公園がなかった事もあってベビーカーに乗せて散歩がてらちょっと公園で気晴らしをする程度だったかな。お砂場着なんかも可愛いのを用意してたけどwほとんどキレイなまま小さくなってしまった。

実家が近くにない我が家は、赤ちゃんを連れて行けない場所でどうしても行かなければならない時には託児所なんかも利用していたけれど、泣いておしまい(笑)。ミルクを全く受け付けない子だったから授乳の合間だけでせいぜい2-3時間。でも迎えに行くと大抵泣き過ぎて人相変わってました(笑)。パパとのお留守番も出来なくて、本当に私一人でのお出かけというのがほとんど出来なかったorz

そして何と言っても10ヶ月前後から始まった夜泣き!これにはもうノイローゼ寸前まで行きましたorz 何をどうしても泣き止まないポーラを、一度だけ、ベッドに放り投げてしまった事もあります(懺悔)。何しろ当時は、朝起きて何を思うかと言うと、「あーまた今夜もあの泣き声に苦しめられるのか」というものだったのだから、結構病んでた。何をどうしても泣き止まない。時間が過ぎるのをただただ待つばかり。もうそれしかない。当時はまだ賃貸のアパートだった事もあって隣近所にも相当の騒音だったと思うorz 菓子折り持ってご挨拶しました。2ヶ月位続いたかなー。

ポーラはまーよく寝る子でw 最初の一ヶ月位は多分普通の新生児並みだったけれど、2ヶ月目に入ってすぐに夜中の授乳が無くなった位です。初めて夜中の授乳が無かった日、目が覚めたら外が明るくて、死んでしまったのかと飛び起きたのを今でも覚えています。だからこそこの夜泣きが堪えたのだけれど、夜泣きもこの時と全く同じように、ある日突然止まった(笑)。明けない夜は無い。格言だーw

卒乳は10ヶ月であっさり。それまでは離乳食をほとんど受け付けず卒乳にはこりゃ時間がかかるねorz と諦めていたが、これまたある日突然ガツガツ食べ始めたと思ったら、乳も飲まなくなった。嬉しいような悲しいような複雑な心境だったw

あっという間の一年だったかなぁ。でもこの「不機嫌な赤ちゃん」シリーズは、結局幼稚園年長まで続くのであったwww

2009年11月29日日曜日

どうぶつしょうぎ

最近巷でちょっと流行っている「どうぶつしょうぎ」というものをご存知だろうか?


非常に単純明快なゲーム。たった3×4の小さな小さな盤上に、ゾウ、キリン、ヒヨコそしてライオン。持ち手はたったの4駒!先にライオンが相手陣地に行くか、相手のライオンを取ったら勝ち。

視空間認知がとても弱いポーラ(というか視て判断する事全体に弱いのですが)、そして勝ち負けにとても拘り(というか勝つ事にしか意義を見出せない)一度負けたが最後、もうそこで全てがぶち壊しになるタイプなので、楽しみながらSSTみたいな事が出来たらなーと思い購入。ちなみに私は将棋出来ません(笑)。もちろんポーラもした事ありません。一応オットは出来るみたい。でもそれぞれの駒上に、その駒が進める方向が印してあるのでポーラのように前後左右、方向全般に弱い子でもそれなりにスムースに動かせます。

いやー奥が深い!たった4駒しかないからこそ、大人も子供も実力に関係なく拮抗するのです。まだ「コレをこう動かしたら相手がこう動くかもしれないから、次はこうなる」というような見通しが弱く、目の前にある事実だけを元にポーラは駒を動かすので、そこは親の指導を入れます(でないととっとと終わってしまってポーラが負ける→パニック→全て終了のパターンになるので)。でもそんなこんなをしている内に、気がつくと自分の手が手詰まりに(呆然)。今日もオットが負けていました。イヘ、アクタシもこの間1回負けましたorz

てかオット。こう言う事が弱いポーラ7歳相手にムキになり、「オレは将棋は強いんだ」と言って本気でやるのは止めてくれorz 勝ってもいいけど、ポーラも楽しめる位に盛り上げてくれないと困る。別にキミが天狗になるためにこれを買ったのではない。オットはすごくKYな所がある。ADHDをちゃんと知って貰おうと本を買ってオットに読んで貰ったのだが、「オレ、思い当たる節がすごく多いんだけど・・・」・・・ま、オットの話はおいおいw

なにぶんにもポーラは、「勝つこと=楽しいこと」であって、「負けそう、負ける=もうやりたくない」、かと言ってルールをきちんと理解して、どうやったら勝てるか?を考える事もせずにただ怒り狂うだけのポーラの相手をするのに夫婦ともども疲れ果て、我が家ではどんなゲームをしてもおもしろくなく、滅多にトランプをしたりボードゲームをしたりする事はない。でもそれじゃいけないのかも?親が辛抱辛抱また辛抱をして、ポーラに勝たせてあげて、成功体験を積み上げて、最終的に「ゲームは楽しい!」と思わせた方がいいのだろうか?

分からないことだらけの日々でR


2009年11月27日金曜日

ムカッ#

夕方テレビで三銃士を見ていて、それが終わったからシャワーに行って貰おうと思った(年長時から基本一人シャワー。髪の毛、体が洗い終わったら確認の後上がらせるw)。

あ、でもその前にテーブルの上を片付けさせよう、と思い、「シャワー行く前にテーブルの上片付けてくれる?」と言ったら。「そんなこと言われなくてもわかってるよ」・・・・なんですって?何か仰って?

そりゃー10回に1回位は(要は月に3回位は)、私から言われなくてもやれる事もある。今朝はその稀な日で、朝のルーティンを私のリマインド無しに全て出来た。ランドセルの中身が色々足りなかったのはご愛嬌。一度も「アレしたの?コレしたの?もう何十分だよ?」と言われずに済む朝というのは貴重ですから。(昨日は私が声掛けをしなかったら、家を出なければいけない時間を過ぎてるのに一心不乱でお絵描きしていて、靴下も履いてない、髪の毛も整えてない状態デシタorz)

今日は回線が繋がっていた日なのか、きっと「シャワーに行く前に片付ける」といういつもの約束を覚えていたのだろう。だから、私に言われて↑のような言葉を返して来たのかもしれない。にしても、自分の普段の行動を鑑みれば、よくそんな言葉を正々堂々と言えるなぁーと半ば感心しながらも結構本気でムカっと来ましたw

「ならママが何も言わなくてもポーラは一人で全部出来るんだね。分かった。じゃもうママは何も言わないから全部一人でやりなさい」・・・はい、売り言葉に買い言葉です。スミマセン。食事の配膳も日々のポーラのお仕事。ところが今日は「ご飯出来たよ。運んで」と言ってもTVに止まってしまって動かない・・・私も意固地ですからw 私の分「のみ」配膳して、一人で先に「いただきます」と言ったところでポーラもやっと気が付いたorz

それでも「さっきはごめんなさい」は結局出ないまま、寝てしまいました。反省を「強要」させるのは違うと思うし、私が「何か言うことはない?」と言って出てくる「ごめんなさい」が本心なのかどうかが今いち分からない。もしかしたらポーラの中ではあの言葉はもう過去の記憶に埋もれてしまっているのかもしれないし。その見極めが難しい。こういう場面は結構多いのだけれど、さてさて。どう対処したらいいものなのか。

思い出:出産から0歳 ~病院編~

実はポーラは「いつ生まれるのか(所謂出産予定日)」が今イチ分からない胎児でした。

というのも、出産予定日というのは最終生理開始日から割り出す訳だけど色々計算が合わなかった(笑)。きっとその時に限って排卵が狂ったんだろうなぁ。医者も「ぅーん。よく分からないなぁ」と言っていたっけ。でもだからと言って予定日が決まらないと一から十まで困るので、とりあえず最終生理開始日を起点として出産予定日というのは組まれた。

でもやっぱり出産予定日には産まれませんでした。大きさ的にはもう出て来て十分だったのに、一向に出て来る気配がない。仕方ないから入院して、陣痛促進剤を使った。それでもまだまだ気配なし。どうしたものか・・・とレントゲンを取ったら、私の骨盤と娘の頭のサイズ?が合わない?か何かで、これではいずれにせよ自然分娩は無理!と言う事になり急遽帝王切開になったのでした。


ポーラは胎児時代ともかく動きの激しい子でよく肋骨辺りを蹴られまくっていたのだけれど、下半身麻酔が効く直前まで蹴られていたのを覚えています。胎児時代からマイペースだったんですかねぇ(苦笑)。生まれてみれば3017gあって、昨今は3000g以下の子が圧倒的なのでポーラが一回り大きく見えたものです。ポーラに初めて会ったのは出産してから3日目(!)。「・・・あら?」というのが正直な感想。なんか、「生まれたての赤ちゃん」ぽいものを想像していたのに、結構しっかりしてる。



これで生後3日目。

病院は母子分離だったし、帝王切開だった事もあって2週間のんびり病院で過ごし、授乳時だけ新生児室に行ってお乳をあげる生活。ポーラはお乳をよくよく飲む子だったし私もよくよく出る方、需要と供給がとてもマッチしていました(それは卒乳までずっと続き、母乳一本でした)。よく飲んでよく眠り、ひどく泣くようなこともなく、病院では過ぎて行きました。

はじめまして。自己紹介とか。

はじめまして。たくさんあるブログの中でここまで来て下さってありがとうございます。
nebula(ねぶら:「星雲」の意)です。

娘=ポーラスター(「北極星」の意。ブログ内では略して「ポーラ」とします)が0歳から5歳位まで日記やブログ、mixi等でずっと書いていましたが、園時代に色々あり過ぎる位あって、その「色々」を書く事すらも精神的に辛くなって止めてしまいました。

2009年現在公立小学校の2年生。、先生にも恵まれ、のびのびと生活していました。勉強も何とかこなしていました。小学校に入学してからは園時代の「色々」がすっかり影を潜めて「過去の話」となったかと思っていたのですが・・・。

2年生になってから忘れ物失くし物がひどくなって、勉強にも遅れが見え始めました。元々忘れ物失くし物は激しくて生理整頓も全く出来ず、身辺自立もどれだけ今まで力を入れてきたか分からないけれど一向に身に付く様子もない。勉強は気分が乗れば5分で済むものも気分が乗らなければ30分以上掛かることも。一年生の単純な計算から、大きな数や長さ、時計などが出て来た辺りから毎日の宿題は私が付ききりで、週末はパパ勉でまた付ききり。それでも習得出来ない。これでは親子関係がおかしくなると思い、7月からは塾に行っています。個別ではないけれど娘を入れて二人という個別みたいな塾です。

生活習慣も勉強もほとほと困り果てて、先生に相談→市の教育センターに相談したのが8月。園時代にもお世話になったケースワーカーさんが担当して下さいました。そこでWISC-Ⅲを受けた所、全体的な知能レベルは問題ないけれど、見事な凹凸。何かしらの発達障害があるだろう、と言われ、11月現在、小児精神科の初診待ちです。

ブログタイトルの「我慢が足りない」は私のテニスの教訓でもあるのですがw、ポーラと接しているとそのマイペースっぷりにどうしてもイライライラ。「ポーーーーーラーーーーーー###」ととなってしまう事が多いため、自戒を込めて、「我慢が足りない」にしてみましたw

現在ADHDやLD、WISC-Ⅲを中心に色々と調べています。各種コメントなど大歓迎です。ポーラ共々よろしくお願いします。

登場人物
ポーラスター(ポーラ)2002/1生まれB型女の子。現在小2。このブログの中心人物。年中からピアノ、1年生からテニスを習っています。塾に週1回算数を習いに通っています。
nebula:アラフォーB型のポーラ母。趣味はテニスと読書。パートでお仕事もしています。
パパ:アラフォーB型のポーラ父。趣味は釣りと読書、テニス少々。月の半分は出張でいませんが、残り半分は在宅で仕事しています。